奇跡

この曲の歌詞が好き。
こんな恋愛できたらいいよね~。

「奇跡」

明日、今日よりも好きになれる
溢れる想いが止まらない
今もこんなに好きでいるのに
言葉にできない

君のくれた日々が積み重なり
過ぎ去った日々
二人歩いた「軌跡」
僕らの願いがもし偶然ならば?
運命ならば?君にめぐり会えた
それって「奇跡」

二人寄り添って歩いて
永久の愛を形にして
いつまでも君の横で
笑ってたくて
「ありがとう」じゃ Ah
愛してるじゃまだ
足りないけどせめて言わせて
「幸せです」と

いつも君の右の手のひらを
ただ僕の左の手のひらが
そっと包んでくそれだけで
ただ愛を感じていた

日々の中で小さな幸せ
見つけ重ねゆっくり歩いた「軌跡」
僕らの願いは大きな世界で
小さな出来事めぐり会えたそれって「奇跡」

うまくいかない日々だって
二人でいれば晴れだって
強がりやさびしさも
忘れられるから
僕は君でなら
僕でいれるから
だからいつも傍にいてよ
愛しい君へ

二人ふざけあって帰り道
それも大切な僕らの日々
「想いよとどけ」と伝えたときに
初めて見せた表情の君
少し間があいて君がうなずいて
僕らの心満たされてく愛で
僕らまだ旅の途中で
またこれから先も何十年
築いていけるような未来へ

例えばほら
明日を見失いそうに
僕らなったとしても

二人寄り添って歩いて
永久の愛を形にして
いつまでも君の横で
笑ってたくて
「ありがとう」じゃ Ah
愛してるじゃまだ足りないけど
せめて言わせて「幸せです」と

うまくいかない日々だって
二人でいれば晴れだって
喜びや悲しみも
すべて分け合える
君がいるから
生きてゆけるから
だからいつも傍にいてよ
愛しい君へ

最後の一秒まで

明日、今日より笑顔になれる
君がいるだけでそう思えるから
何十年、何百年、何千年時を越えよう
君を愛してる

別れと節目

叔母が2週間ほど前に他界した。
母親が他界してからの10年間
母親代わりとしてかわいがってくれた叔母である。

悲しくてつらくて仕方がなくて、、、
この1ヶ月は、我慢しても考えれば勝手に流れる涙。

でももう、泣いてばかりはいられない。
前を向いて強く生きていこうと決意を新たに再出発。
母のときもそうだったけど、
私が私らしく生きることを二人の母は望んでいる。
そう信じて前を向いて歩いていかなくてはならないと。
やっと落ち着いてきて新たなスタートの意味を込めこの日記を書く気になった。


なぜなら
そんなつらく悲しい日々に私を支えてくれたのはやはり友人だったから。

2度も同じ病気で大事な家族を亡くしてしまうのが悔しくてと泣いたとき、


ある友人は、
「僕は君のことを家族だと思っているよ」と励ましてくれた。



ある友人は何かがあると感じとりドライブに連れてってくれ、
「君がつらいときには、傍にいてあげるから」と。



叔母が危篤で家で涙が止まらなかった夜中、
ある友人は、
「いくらでも付き合うよ!君は私の特別大切な友達だもん。どんとこい。
力になりたい。少しでもなれてたら嬉しい。」と。



ある友人は、
「私の中で君はあまり人に甘えないイメージだから心配なんだよ。
せっかく友達になれたし、頼りないけどもっと君が甘えてくれればいいのにって思う」と。


ある友人は、他界した後、飲みの席で泣いてしまった後のメールで
「形は違えどもいろいろな人が君に支えられ、君を支えたいと思っているよ」と。


みんなに支えられ、私はこの1ヶ月乗り切ったきがする。
だから感謝を込めてこの日記をあげようと思った。

これからもよろしくという意味も込めて。

本当に本当にありがとう。









もう一つそれに伴い起こった出来事。
彼氏との別れ。付き合った期間2ヶ月。。。。。

彼氏との価値観の違いは付き合う前から明確で、
それをわかってお互い付き合ったと思っていた。

しかし、私の精神状態が最悪の状態の中で、
どんどんと価値観の違いが歪みとなっていったんだと思う。

相乗効果を生みたいと強く思ったおもいとはうらはらに、
マイナスの相乗効果を生むようになってしまった。
これがいつものパワー全開の私なら違った方向に向いたかもしれない。
けどそれを修正するパワーはなかった。

叔母のことでつらいなか、
彼氏のことまで悩む精神力はなく、

別れへとつながってしまった。

今でも彼の働く店には行くし、
彼に飲みに行こうと誘われれば行くと思う。
今は、そう別れられたことはとてもよかったと思っている。






別れはスタート。

別れた彼とは友人としての付き合いのスタート。
そして、もう一方で新しい恋に向けてのスタート。

叔母の病気と死は私のこれからの人生を見つめなおす機会であり、
叔母が他界した今、新しいことを始める人生に向かうスタートラインにたったんだと。



母親が他界したとき、
私は強く生きなくてはと決意し、ガムシャラに生きた10年間だった。
その10年間は間違いじゃなかったと今強く思っているし、母親に感謝している。

今回も「ちゃんと考えて生きろよ」っていうメッセージであり、
節目だったんだとおもい、
これからの10年間もまた、新たに私らしく
悔いのない人生を送るためにスタートしようと決意した。

やりきれない思い

やりきれないことが起こってしまった。

大分前に叔母の病気のことを日記で書いたと思う。

私が母親を10年以上前に亡くしてから母親変わり。
かわいがってくれていた叔母である。

叔母はよくいっていた。

「結婚して子供ができたら、
 うちで産んでいいわよ。
 あなた母親いないから大変でしょ♪」
と。




そんな叔母が癌におかされ半年以上がたって
まだまだ大丈夫と思っていた矢先、
とうとう余命が宣告されてしまった。





2ヵ月半。








母と同じ病気(すい臓癌)で
母と同じように弱っていく姿を見なくてはいけないことに
とてもやりきれない思いを感じている。


2ヵ月半といわれるまで、
叔母は治療をがんばっていた。
やせほそったなーっとは思っていたが、
まだ大丈夫と思っていた。
母のときとは違い、
医学も進歩しているのが叔母の治療を見ていて
手にとるようにわかり治療法もまだあると信じていた。


しかし、それもむなしく、余命が宣告されてしまった。
余命が宣告されたということは、もう治療法がないということ。


2ヵ月半と宣告された叔母は、
母親と同じく、あきらめた声でいった。

「これも運命よね」



やりきれない思いがあふれる。。。。




実の母親の時、
私は母に「病は気から」だから
「あきらめないでがんばってよ」って
何度も何度もいっていた気がする。

しかし最後まで苦しむ母親の姿を見とった私としては
今回叔母にその言葉を口には出すことはできなかった。

「あきらめないで」も
「がんばって」も
言えなかった。

叔母はがんばってきた。
あきらめないできた。

それをわかっているから。。。


ただただ生きて欲しいと願うだけしかできない自分。
本当にやりきれない思いばかりが募る。



このやりきれない思いを誰かに聞いて欲しくて
書いてしまいました。





結婚していないこと、
子供を産んでいないこと、
こういうときに悔やみます。

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